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出会いに触れて得た宝物


成田会の剪定講習会を拝見していく中で、成田先生の片腕となっているある中心的人物に目が止まりました。
成田先生の一番弟子である会長の宍戸一秀さん。
先生との出会いや果樹栽培についてお話をうかがいました。

生涯の恩師との出会いと、3人で始めた福島成田会―

福島成田会を引っ張る存在である宍戸さんが果樹農家を始めたのは今から20数年前。亡きお父様が残してくれた財産を守るため、当時働いていたJAを退職し農園を引き継ぐことになった。
「農家育ちとはいえ父親の亡き後、教わる術もなかった自分は果樹栽培に対して右も左もわからない状態でした。そんな中自分を指導してくださる方がいて、その方とJAの剪定講習会を受けたのです。その時の講習会で指導にあたったのが当時から剪定技術を広めるため日本全国を渡り歩いていた成田先生でした。私がこれまで行っていた剪定の概念を覆す方法論にとても衝撃を受けたのを憶えています。そして、もっともっと剪定技術を学びたいと思い、成田先生を福島にお呼びすることになりました。福島成田会は最初は3人というごく少人数で始めました。
先生の手厳しい指導は本当に修行そのものでした。まず、職人気質というのもあってなかなか口では教えてもらえない、技は目で見て盗めと言っているかのような気迫があり、先生の手元、思考、どのような立ち回りで枝をさばいていくのか一時も目を離していけない緊張感がありました。1年にたった20回しか指導を受けられないのが当時はもどかしく、先生の数少ないお言葉をひとつひとつポケットにしまい込み、技術を習得することに必死でした。」
当時若手だった宍戸さんにとって成田先生は雲の上の存在。剪定の技術以外にも教わる事はたくさんあったという。
「剪定技術はもちろんですが、成田先生は果樹経営者としての生活指導も行ってくれました。果樹を扱うものとしての大事な心構えなども林檎を愛してやまないからこその考えだと思います。私はそういった先生の熱い思いを感じてますます尊敬の念を抱いていったのです。」

成田会の剪定技術が福島の林檎生産を変える―

成田先生が福島を訪れるようになってから26年。それ以前にも当然福島では林檎栽培が行われていたが、先生の技術が福島の農家に伝授された今と昔とでは林檎の生産に大きな変化を与えた。
「指導を受け始めた頃は、大きな太い枝を躊躇せず切り落としてしまう斬新な考えに戸惑いました、それまで福島の剪定は細い枝を中心に整理していくのが主流でしたからね。スタートは芽一つから始まり木はまわりながら生長していく。だから古い枝を落とし太陽が均一に当たるようにし、一本の木から品質の良い林檎を多く実らせるのが先生の考えです。
この手法に変えたことにより、市場に出せる林檎の数が劇的に増えました。一本の木から余す所なく収穫できるようになり、作業自体もより効率的で楽になったのです。」

良き同士であり良きライバルでもある、
結束力の強い仲間たちとともに―

最初は3人で始めた福島成田会も今では会津へと拡大し、22名の果樹農家が指導を受けている。
「成田会は少人数ではありますが、この程よい人数がお互いの結束力を強め、良きライバルにもなれます。仲間たちとともにも品質の良い林檎を一つでも多く作るため、皆が同じ方向に向かって日々奮闘していることは福島の果樹栽培に良い効果を与えていると思います。こうした同士たちとの繋がりを持てたことはひとえに成田先生のおかげでもあり、私にとっては宝物のような経験。先生との出会いがなければ、今の私は存在しないというくらいかけがえの無い礎を築きました。」
「林檎栽培というのはとても手がかかる大変な作業です。けれど手がかかる林檎ほどなぜかかわいいと思ってしまう。辛い作業も後の収穫の喜びのためと思うと不思議と苦になりません。そして、これからもおいしい林檎を待っててくれているお客様の笑顔を見るために作り続けていくんだと思います。それが私の原動力ですから。」
林檎の樹を愛おしそうに見つめながら話を続ける宍戸さんからは、果樹農業に従事する者としての誇りが多いに感じられた。そして、伐採された樹へは「今までたくさんの林檎を実らせてくれてありがとう」という感謝の気持ちを常に持ち続けている。恩師との出会いから20数年がたった今、先代から託された果樹、同士たち、そしてお客様と、たくさんの宝物に囲まれながら宍戸さんは今日も活き活きと林檎を作り続ける。

2011年03月15日(火)