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特集


宝珠の園へと導く哲学栽培



雨の雫がよりいっそう葉を深く色づかせている梅雨の6月は最も葡萄栽培のメインとなる大事な時期といいます。
今回は実が青く固くなり始めた葡萄園で、果樹農家の奈良輪 光功(ならわ みつのり)さんにお話を伺いました。

誰でもできる技術でないと技術とは言わない

福島市平田で果樹農園を営む奈良輪さんはこの長閑な山地でピオーネ、ロザリオビアンコ、巨峰など多品種の葡萄を栽培している。
果樹農家は時に消費者のニーズや農園の経営管理に合わせて栽培方法の見直しを迫られることもあるが葡萄の栽培も決して例外ではなかった。
「葡萄の栽培はとても簡単です。ただ、以前のようなポピュラーな栽培方法では作業効率が悪く、労働性も低い事が難点でした。そこで私どもの葡萄農園では“短梢(たんしょう)栽培”という手法に切り替えました。結果、時間の短縮につながり効率よく栽培できるようになったのです。」
“短梢栽培”とは今年果実のなる芽を1~2芽残す剪定方法で実の成る量を調整することができる。また着果位置を目の高さに調整できるので女性でも作業しやすいという。
規則的に並んだ葡萄は1mに4房成る。単純計算で1列にどれだけの葡萄を収穫できるかこの手法であれば計画的な栽培が可能ということだが、勢いよく伸びる葡萄のツルの性質を数学的に操る技術は素人の目からは難しく感じる。
「林檎や桃などの自然型な栽培に比べると、ある意味葡萄は人間の都合によって栽培できるとても扱いやすい果物です。だから何ら難しい事ではありません。第一、誰にも習得出来ないような技術は技術と言わない。葡萄農家が成り立たないですからね。」
“葡萄の栽培だったら自分でも出来るかもしれない”。そう思わせてくれるほど気軽に葡萄について語ってくれる奈良輪さんの言葉の端々には、果樹農家としての哲学やプロ意識の高さが感じられた。
そして、やっぱり果樹農家はやめられないと話す。
「熟成が進み、自分のイメージ通りに葡萄園が完成されていく様を見るのがとても楽しいですね。」

農家としてのモチベーションをどう維持していくか。

花を摘む傍らで忙しく行きかう小さな働き者、それがミツバチ。
基本的にハウス栽培である葡萄といえ、福島に深刻な影響を与えている放射能問題については奈良輪さんも一農家としての責任を感じずにはいられない。
「手塩にかけて自分の子どものように育てた作物が出荷できないという事態になることが一番辛い。経済的にもですがそれ以上に精神的なダメージの方が大きいでしょう。それは農業に携わるものすべての人がそう思っています。消費者の健康を守るために、農家自らが率先して出荷ができる地域、できない地域をクリアにPRしていく必要性があると思います。そして、今年だけではなく、来年再来年と続くであろう問題に対処するためのモチベーションの維持が、福島の農家にとって今後の課題になるでしょうね。」
美味しくて安心安全な果物を届けたいという思いがより一層強くなるなか、福島の農家は来年以降の見通しが立たないという未だかつて経験したことのない大きな問題に直面している。
リアルな声は身につまされるようだが、インタビューの終盤、奈良輪さんは笑顔で話してくれた。
「葡萄はとても成熟が早いので来月にはもう色も大きさも変わってますよ。ぜひ育った葡萄を見に来てください!」
成熟した葡萄がたわわに実る宝珠の園はどれほど美しいだろうか。
生産者の結晶が無駄にならない日が来ることを切に願う。

2011年07月06日(水)

林檎畑を飛び交う春の旅人


福島市荒井で桃、林檎、プラムを生産する果樹農家、山岸博行さんの農園を訪ねた。
5月の連休の終盤、農園に開いた林檎の花を摘む「摘花(てきか)作業」の現場では人とともに忙しく行きかう小さな働き者の姿があった。

農園に咲いた白い花。

林檎畑に白い花が開き、先月までの殺風景さが嘘のような賑わい!
農園を管理する山岸さんもこの時期をあえて林檎作りのスタートと位置づけていると言う。
この日、林檎畑では摘花作業が行われていた。文字通り花を摘む作業だ。
せっかく咲いた花を摘んでしまうのは、素人目にはなんだかもったいない気もするのだが、美味しい林檎を作るうえでこれもまた大切な作業。

冬を越した林檎の樹木は自身が蓄えた“貯蔵養分”を使い、可憐な白い花を咲かせる。養分は枝の先端に集まる傾向があるのだが、1~2年の枝に林檎の実を付けるには少々荷が重過ぎる。
また、風が吹いても実同士がぶつかったり擦れたりしないよう樹木の生長を見越し、条件の良い中心花だけに養分を行き渡らせ、それ以外の花を間引いていく。
「現在母親と二人で林檎畑の手入れをしていますが、このやり方で管理する以上、今の広さが限界だと思うんです」
そう山岸さんが語ってくれた。

起こり得る様々なアクシデントに対処すべく手をかけ品質管理において些細な手間も惜しまない。
大規模農園の大量生産された林檎の中には商品に適さない林檎も多く生産されてしまうが、ここ山岸さんの小規模農園では徹底した管理のもと不良が出ないよう合理的な生産を目指している。
同じ林檎生産といってもこれほどまでに意識は違う。毎年山岸さんの林檎を求めリピート客が絶えないのはこのような努力が結果に結びついているからに違いない。

春の旅人が結実を担う。

花を摘む傍らで忙しく行きかう小さな働き者、それがミツバチ。
畑のほぼ中央に置かれた小さな木箱。下部の出入り口と思われる溝からたくさんのミツバチが飛び交っている。
林檎は他品種の花粉で受粉・結実する“他家結実”。山岸さんの農園の受粉はすべてミツバチによって行われる。
この小さな巣箱のミツバチだけで2キロ周辺の樹木の受粉作業をやってのけるというから驚く。
そんなミツバチも福島市での仕事を終えると、今度は青森周辺の林檎畑に巣箱ごと運ばれて行く。こうやってミツバチは毎年春を追って九州から北上を続けるのだ。

毎年違う表情を見せる林檎。

てきぱきと摘花をこなしつつ農園を案内してくれる山岸さんは実はまだ果樹農家6年生。
亡き父親の残した農園を守るために脱サラして農業を始めた。
今年は昨年の猛暑の影響で樹木の花数が少ないという。自然に影響を受け毎年違う事例と向き合うのも農業の醍醐味だとか。

サラリーマン時代の山岸さんは補償コンサルティングの会社に勤めていた。具体的には道路拡張に伴う住居等の移転に必要な補償金額の計算などを請け負う。
そんな山岸さんは今回の原発事故の補償についてどう考えるのか?
「果樹農家の場合、被害の金額がいくらになるのかは決算が済むまでは憶測でしか言えない。当面は不安を抱えながらも今まで同様により良い果物作りを続けていくまでです」
この時期、福島の果樹農家はモチベーションを保っていけるかが鍵になりそうだ。
事故を起こした発電所ではまだまだ予断を許さない状況が続く、が一刻も早く事故の収束を願ってならない。

2011年05月22日(日)

春の訪れと果樹農家の憂鬱


強い北風が吹き付けるも、3月のそれとはあきらかに違う春の晴れた日。
福島市北原で果樹農家を営む安藤義明さんの農園を訪ねた。
まさに摘蕾作業の真っ最中。剪定に続き根気のいる作業が続けれれていたが、今年の果樹農家はかつてない問題を抱えていた。


成田会の剪定技術を桃、さくらんぼにも生かす。

安藤さんが本格的に成田会の講習を受けるようになったのは平成11年。
父親を亡くし、それまで親子二人で世話をしてきた林檎、桃、さくらんぼ畑を一人で面倒見るようになりながらも、より良い実が着くようにと試行錯誤を繰り返していた。
その頃、青森から来福するようになった剪定のカリスマ、成田行祥氏が開く講習会に安藤さんも時折顔をだすようになり、見聞きした内容を自分流に解釈し畑の木で試していたと言う。
やがて安藤さんの畑でも成田会の剪定講習会が行われるチャンスが巡ってきた。

成田先生に直接指導していただくならこの木、と予め決めていた。自分の得た知識の確認、これまで講習会に参加し、技をその木に注ぎ込んでいた。
現場で実際に成田先生が剪定を始めたとき安藤さんは驚いた。
「自分の予想とは全く逆に切り出したんです。これではいけない。ちゃんと習わなければ…」
今、成田先生が教えてくれた林檎の剪定を安藤さんは桃やさくらんぼの木にも応用し、結果を出している。
「桃の木は林檎よりもデリケートで、同じように切り落とすとダメージを受けることがあるのです。」

ふくしまの農家を取り巻く不安。

取材に訪れた4月5日、安藤さんは桃畑の摘蕾(てきらい)作業を行っていた。
「剪定が終わると摘蕾作業をします。蕾を摘んでいく作業のことです。桃の枝にはたくさんの蕾がつきますが一枝に1~2個残し、すべて摘んでしまいます。」
これもまた気の遠くなる作業だが、間もなくこの畑も鮮やかなピンクの花に包まれる。福島市の春の風物詩といってもいい。
それは待ち遠しい心安らぐ瞬間であると言いながらも、安藤さんの顔は曇っていた。

平成23年3月11日、東日本大震災はここ福島市の果樹農家にも大きな爪跡を残した。
東京電力福島第一原子力発電所事故。そのとき撒き散らされた放射性物質が深刻な影を落としている。
「私自身、生産者であるけれど、自分で作れない作物は買って食べます。どうせお金を払うなら当然美味しいものが食べたい。だから自分が作る果物も色・形・味にとことんこだわりますよ。」
そんな生産者のプライドが揺らいでいる。
愛情を込めて育てた果物は消費者に受け入れてもらえるのだろうか?それ以前に出荷させてもらえるのだろうか?
「一度、木の手入れを止めればその後数年間に渡り影響がでてしまうから手入れをしないわけにもいかないんです。」
安藤さんの畑から今年最初の収穫が始まろうとしている。
さくらんぼの出荷は6月から。その答えが出るのはもうすぐだ。

2011年04月16日(土)

出会いに触れて得た宝物


成田会の剪定講習会を拝見していく中で、成田先生の片腕となっているある中心的人物に目が止まりました。
成田先生の一番弟子である会長の宍戸一秀さん。
先生との出会いや果樹栽培についてお話をうかがいました。

生涯の恩師との出会いと、3人で始めた福島成田会―

福島成田会を引っ張る存在である宍戸さんが果樹農家を始めたのは今から20数年前。亡きお父様が残してくれた財産を守るため、当時働いていたJAを退職し農園を引き継ぐことになった。
「農家育ちとはいえ父親の亡き後、教わる術もなかった自分は果樹栽培に対して右も左もわからない状態でした。そんな中自分を指導してくださる方がいて、その方とJAの剪定講習会を受けたのです。その時の講習会で指導にあたったのが当時から剪定技術を広めるため日本全国を渡り歩いていた成田先生でした。私がこれまで行っていた剪定の概念を覆す方法論にとても衝撃を受けたのを憶えています。そして、もっともっと剪定技術を学びたいと思い、成田先生を福島にお呼びすることになりました。福島成田会は最初は3人というごく少人数で始めました。
先生の手厳しい指導は本当に修行そのものでした。まず、職人気質というのもあってなかなか口では教えてもらえない、技は目で見て盗めと言っているかのような気迫があり、先生の手元、思考、どのような立ち回りで枝をさばいていくのか一時も目を離していけない緊張感がありました。1年にたった20回しか指導を受けられないのが当時はもどかしく、先生の数少ないお言葉をひとつひとつポケットにしまい込み、技術を習得することに必死でした。」
当時若手だった宍戸さんにとって成田先生は雲の上の存在。剪定の技術以外にも教わる事はたくさんあったという。
「剪定技術はもちろんですが、成田先生は果樹経営者としての生活指導も行ってくれました。果樹を扱うものとしての大事な心構えなども林檎を愛してやまないからこその考えだと思います。私はそういった先生の熱い思いを感じてますます尊敬の念を抱いていったのです。」

成田会の剪定技術が福島の林檎生産を変える―

成田先生が福島を訪れるようになってから26年。それ以前にも当然福島では林檎栽培が行われていたが、先生の技術が福島の農家に伝授された今と昔とでは林檎の生産に大きな変化を与えた。
「指導を受け始めた頃は、大きな太い枝を躊躇せず切り落としてしまう斬新な考えに戸惑いました、それまで福島の剪定は細い枝を中心に整理していくのが主流でしたからね。スタートは芽一つから始まり木はまわりながら生長していく。だから古い枝を落とし太陽が均一に当たるようにし、一本の木から品質の良い林檎を多く実らせるのが先生の考えです。
この手法に変えたことにより、市場に出せる林檎の数が劇的に増えました。一本の木から余す所なく収穫できるようになり、作業自体もより効率的で楽になったのです。」

良き同士であり良きライバルでもある、
結束力の強い仲間たちとともに―

最初は3人で始めた福島成田会も今では会津へと拡大し、22名の果樹農家が指導を受けている。
「成田会は少人数ではありますが、この程よい人数がお互いの結束力を強め、良きライバルにもなれます。仲間たちとともにも品質の良い林檎を一つでも多く作るため、皆が同じ方向に向かって日々奮闘していることは福島の果樹栽培に良い効果を与えていると思います。こうした同士たちとの繋がりを持てたことはひとえに成田先生のおかげでもあり、私にとっては宝物のような経験。先生との出会いがなければ、今の私は存在しないというくらいかけがえの無い礎を築きました。」
「林檎栽培というのはとても手がかかる大変な作業です。けれど手がかかる林檎ほどなぜかかわいいと思ってしまう。辛い作業も後の収穫の喜びのためと思うと不思議と苦になりません。そして、これからもおいしい林檎を待っててくれているお客様の笑顔を見るために作り続けていくんだと思います。それが私の原動力ですから。」
林檎の樹を愛おしそうに見つめながら話を続ける宍戸さんからは、果樹農業に従事する者としての誇りが多いに感じられた。そして、伐採された樹へは「今までたくさんの林檎を実らせてくれてありがとう」という感謝の気持ちを常に持ち続けている。恩師との出会いから20数年がたった今、先代から託された果樹、同士たち、そしてお客様と、たくさんの宝物に囲まれながら宍戸さんは今日も活き活きと林檎を作り続ける。

2011年03月15日(火)

林檎づくりの伝道師










生産者の元で手塩にかけて育てた林檎は、秋から冬にかけ収穫を終え私たちの食卓へ届けられます。
農家にとってはここで一段落なのかと思いきや、冬になればすぐに「剪定」という作業が始まります。
これは1年先の林檎の出来を左右する極めて重要な仕事。
高度な技術が必要な剪定の“ワザ”と“コツ”と“ヒケツ”を福島の林檎農家に伝授するため、ある「伝道師」が青森から来ていました。

二手、三手先を読むのが成田会流

1月の某日、福島の林檎農家を集めて剪定講習会が行われた。講師を務めているのは青森から来福された林檎作りの大ベテランである成田行祥(ゆきよし)先生。
この成田先生を中心とした「福島成田会」「会津成田会」による講習会はこれまで25年間、福島の林檎農家の育成と発展に益してきた。
成田先生が示す林檎作りの重要度に「1に剪定、2に管理、3に消毒散布、4に肥料」とある。
そもそもなぜ林檎栽培において剪定技術がもっとも重要なのか。
林檎の樹は常に生長し枝を増やす。そのまま放っておけば日当りが悪くなり樹全体に十分に養分が行き届かない。これを防ぐため枝を落とし、適度な数に調整していく作業が必要だ。
一見、枝を落とす行為は芽も一緒に落とす事であり収穫量が減るイメージだが、良い芽だけを見極め残すことにより、玉の大きさや色づきを合わせ一定品質の果実を効率よく生産できる。さらには日の当たり具合、葉の生え具合を調整できるので作業の効率も良くなる。ひとつとして同じではない樹一本一本と向き合い、状態や性質、また樹勢を見極めることが肝心であり、常に二手三手先を読むこと、こういった理論に基づいた剪定が“成田会流”なのだ。
ただ、理論的に頭で理解していても実際に木々を目の前にした時にどの枝を落とすか即時に判断できるのだろうか。
樹を見るだけでどんな根を張りどんな実をつけ、翌年の傾向までわかるという成田先生はまるで魔術師のようにも思えてしまうが、それには長年の経験と色づきの良い甘くておいしい林檎を一つでも多く消費者の元へ届けたいという生産者自身の愛情があってこそ到達できるベテランの技なのである。

成田会流“剪定”技術を後世にも

長い年月、福島の林檎農家のバックアップをしてきた成田先生には「年々変化する気候にも立ち止まらず臨機応変に対応し進歩的になってほしい」という思いがある。そうした先生の意思を受け継ぎ林檎栽培の発展に貢献してきた農家のもとへ、その功績を讃えて毎年“成田賞の”受賞者が決定される。
この日受賞した渡辺さんはこの道15年のキャリア。林檎作りを始めた頃は「一手先もわからないのに二手三手先など読めるのだろうか」と不安に陥っていたという。だが、成田先生の手厚い指導により林檎づくりへの愛情が人一倍強くなったのであろう。この日の謝辞では先生への感謝の思いがひしひしと伝わってきた。
普段目にしているスーパーの陳列棚に並ぶ林檎はどれも粒ぞろい。そのひとつひとつは日々試行錯誤しながら良い芽を作り続けてきた生産者達が実らせたものだ。
剪定だけだはなく、仕事に対する心構えも農家たちに優しく教える成田先生。その影響を受け今後も福島の特産品として林檎づくりが豊かなものになるように、牽引する存在が次々現れることを期待してやまない。

2011年02月02日(水)